環境教育 外国の歴史

増井千晶碧井椿

欧米諸国では、19世紀の後半から自然保護教育が行われていた。これが今日の環境教育の根源であると考えられる。

「環境の質」と「教育の質」を緊密に結び付けて考えた世界で最初の人間であり、「環境教育の開拓者」として知られているのは、生物学者、社会学者、都市計画家でもあったパトリック・ゲディス(Patrick Geddes, 1854年 – 1932年)である。ゲディスは、スコットランドの首都、エディンバラにある展望塔(Outlook Tower)を拠点として独自の自然学習(Nature Study)の理論と実践を作り上げていった。

1966年にイギリスの教育・科学省の諮問機関が提出したブラウデン報告書で、学校と教育における環境の活用が述べられた。1970年には、アメリカ合衆国環境教育法が制定され、本格的な環境教育の取り組みが定められた。

1972年にストックホルムで国連人間環境会議が開催され、1975年には、国際環境教育会議でベオグラード憲章が採択された。この中では、目標として関心、知識、態度、技能、評価、参加の6項目が示され、環境問題の目的が明確にされている。

1987年には環境と開発に関する世界委員会が開かれ、非公式な方式(テレビなど)による普及が緊要であるとされた。1990年にはアメリカで環境教育の推進等のための法律が制定され、環境教育を推進する制度が規定された。1993年にはオランダで環境管理法が制定された。

また2002年のヨハネスブルクサミットでの日本のNGOと政府の提案も受けて、2005年から10年間は国連持続可能な開発のための教育の10年(ESDの十年)がとした。

 

増井千晶碧井椿

 

 

環境教育 日本の歴史

増井千晶碧井椿

日本では、1960年代に生じた深刻な公害や自然破壊の問題に対する社会運動が発展し、その解決法として認められるようになったのが環境教育の最初である。環境学、環境問題に対する市民の知識・関心の低さが指摘され、それを教育する方法として環境教育の概念が形成された。

1990年には日本環境教育学会が創設され、環境教育の理論的体系付けが一つの目標とされている。環境教育学の創始者の一人である藤岡貞彦は、その目標は環境権の確立にあると述べている。

行政の面においては、1993年の環境基本法の制定と2003年の「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」の制定により、環境教育の推進のための施策が行われている。現在では、自然保護に限らず、持続可能性についての議論などの広い意味を含んでいる。

増井千晶碧井椿

環境教育

増井千晶碧井椿

環境教育とは、環境や環境問題に対する興味・関心を高め、必要な知識・技術・態度を獲得させるために行われる教育活動のことである。人間の全体に関わる問題として、学校以外でも様々な活動が行われている。関連する学問分野は教育学、心理学、医学、人類学、社会学など多岐に及ぶ。

日本では、環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律の第2条第3項において「「環境教育」とは、環境の保全についての理解を深めるために行われる環境の保全に関する教育及び学習をいう。」とされている。

増井千晶碧井椿

 

しぜんたいけんかつどう

増井千晶碧井椿

自然体験活動(しぜんたいけんかつどう)とは、自然の中で自然を利用して行う各種活動であり、具体的にはキャンプ、ハイキング、スキー、カヌーといった野外活動、動植物や星の観察といった自然・環境学習活動、自然物を使った工作や自然の中での音楽会といった文化・芸術活動、一次産業体験(農作業体験・漁業体験等)などを含んだ総合的な活動である。

環境教育、野外教育は,自然体験活動を取り扱う教育領域であると位置付けることもできる。

文部科学省は、2008年に小学校長期自然体験活動支援プロジェクトを立ち上げ、2012年までに国内全ての小学校で5年生の児童に対して、7日間の自然体験活動を行う方針が示されている。

増井千晶碧井椿